学べる人、学べない人
謙虚な人は学べます、卑屈な人は学べません。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉があります。
先達や文化をリスペクトできる人は、本質的な部分を深く学べます。
リスペクトは謙虚さから生まれます。
※謙虚=自分の知識や経験、能力などに驕ることなく、素直な態度で人に接すること。
一方で、卑屈な人はベースに傲慢があるので、先達や文化をリスペクトすることができません。
どこまでいっても「自分、自分」。
自分の経験からしか学べないのですが、傲慢な人はプライドが高いので、そもそも失敗したくありません。
失敗したくないので挑戦もできず、結局「傷つくかもしれないことはやらないのが安心」「正解さえ教えてもらえれば安心してできるのに」というネガティブな学びだけを蓄積してしまいます。
※卑屈=自分を客観視できず、他人と比較して「どうせ私なんて…」と貶めることで安心し、(自分は変わろうとせずに)悲劇のヒロインポジションに留まろうとする姿勢。
※傲慢=「理想の自分(プライドの在り処)」と比較して、実際の自分や他人をあなどり、見下す態度のこと。みくびって礼儀を欠くこと。
学校の勉強や仕事など、正解があるものであれば、そこにリスペクトがなくたって表面的には学べるかもしれません。
しかし、クリエイティブなことや生き方、人間関係に正解はありません。
正解がないものに正解を求める態度は「傲慢」以外のなにものでもないのです。
また「自分は知っている、できるはず」の前提でいると、できないこと、理解できないことの原因を外側に求めてしまいます。
「ちゃんと正解を教えてもらえれば私はできるはず。私ができないのは外に原因があるからだ。私ができるように教えなさい」という思考になるわけです。それも、無自覚に。
だから生き方でさえ、正解をなぞるようにハウツーに頼ってしまう人が多いんですね。
そしてひとたびその正解から外れると極端に不安になり、周りが気を遣わずにいられないほどにネガティブ発言をしてどよんとしてしまう(自己否定)or自分を守るために他人を責めるような攻撃的な言動(他者否定)になるのです。
傲慢な人はネガティブです。正解が一つしかないと思っているので、それ以外は不正解。
自分の求めている正解ではないと感じた瞬間に、「本当にそれが正解ですか?それは違うんじゃないですか?」と否定から入ります。
(たとえ口に出さなくても!あきらかに不満な顔をしているので周りの人にはわかります)
そして正解が見つけられない自分or自分の欲しい正解をくれない相手はダメな人として、無意識に自分にも他人にも見下した態度をとってしまうのです。
(正解を)知らないこと=ダメなこと
知らないことを学ぶこと=正解を知らないという「不安を和らげること」
この人たちにとって学ぶとは、自分を「これで正解なんだ」と他人に保証してもらい安心したいだけの確認作業であり、あくまで承認欲求を満たす行為なのです。
そりゃ不満も多くなります。
謙虚な人はポジティブです。正解はたくさんあって、自分は知らないことだらけだと思っているので、正解のないことを学ぶ際にも柔軟に受け取れます。「なるほど、あれも、これも正解なんだ」と。
正解をくれる人ではなく、自分の知らない新しい視点をくれる人を有難いと感じます。
知らないこと=楽しいこと
知らないことを学ぶこと=純粋な「喜び」
この人たちが満たしたいのは成長欲求です。
結果がうまくいってもいかなくても、それ自体が喜びなので、そこにネガティブな要素は生まれません。
不満を感じるとすれば、「これが正解!これ以外は不正解!」と不自由さを押し付けられることくらいではないでしょうか。
人生の楽しみをくれるものについての「学び」を得ようとするとき、「自分は知らない」「正解はひとつではない」を前提とした謙虚さがなければ、知っている範囲のこと、理解できる範囲のこと以上の本質を学ぶことはできません。
「こちらが教えて欲しいところだけ教えて欲しい」
このベースには(何を学ぶべきかは自分が知っているので…)という前提があります。
この教わる姿勢は、謙虚でしょうか?それとも傲慢でしょうか?
相手がAIで、正解があることについて質問しているなら良いですが…
コスパ、タイパが重視される現代ではこういったスタンスの人が増えているのも自然な流れなのでしょうが、それではたぶん物事の本質は掴めません。
まずはたくさんのエッセンス(自分にとって必要じゃなさそうなものもふくめて)を謙虚な気持ちと好奇心を持っていったん「素直に受け取る」。
そのあとに「受け取ったものの中から、自分らしいものを丁寧に選んでいく(自分らしくないものを手放していく)」のが、物事を本質的に学ぶための手順だと思います。
※本質とかじゃなくて、「広く浅くでいいんだよ〜」「私が知りたいところだけ教えてくれればそれでいいんだよ〜」という人は、エンタメ的なレッスンをやっているスポーツジムや、そういうスタンスの先生のところに行かれてください。
ご自身と考え方や価値観の違う場所に無理して居続けてもフラストレーションが溜まりグチっぽくなるだけですから…
私自身「いろんなことを知っている人」と思われがちですが、何も知りません。
日々、興味のあることをただ興味のままに楽しく学び続けているのみです。
(なお、すぐ忘れるので何度も繰り返し同じことを学び、その度に新しい発見をしています!一度学べば終わりではないんですよね)
そして、たとえば年配の人は自分より年下に対して傲慢になりやすい(年齢が上の方が人生経験が豊かで偉いという思い込み)し、男性は女性に対して傲慢になりやすい(男は女より偉いという思い込み)という傾向はよくあります。
ライトなマウンティングというか、どんぐりの背比べというやつで、誰かと比較して自分の優劣を確認せずにはいられないのが人間のサガ…
特に、昭和な価値観から抜け出せていない人の場合には悪気なく無意識にやってしまっている人も多いでしょう。
私も20代の頃は、若さゆえの無敵感と世間知らずの合わせ技で「傲慢」にとらわれていた時期がありました。
無知だからこそ「自分は知っている、できる」と思っていたし、上司や先生に対して「簡潔にコツや正解だけ教えてくれればいいのにな…」と思っていました。謙虚さがないナマイキで可愛くない人間でしたw
そして今も、人に教える仕事をいろいろとしている以上、いつのまにか自分が傲慢になっていないかを常日頃から確認することを心がけています。
傲慢になってきているなと感じたら反省、知っていると思っていることを一から学び直すことで謙虚さを思い出すようにしています。
傲慢さと自意識過剰を手放して、謙虚な気持ちで、楽しみながら学びましょう〜
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