top of page

初詣は神社かお寺か?

最近立て続けにこの話題について話すことがあったので、書いておきます。



大きな神社やお寺へのお参りは誘われてお付き合いの形で行くことはあるけれど、私ひとりで行くときには「龍神系のこぢんまりした神社」が好きです。


なんなら誰もいないくらいでちょうどいいw


お稲荷様系とか全国から参拝客が訪れるようなところも好んでは行きません。

いろんな念が立ち込めていると気が散ってお参りどころではなくてw

お付き合いで行くときは、できるだけ何も考えないように、そして参拝する人たちの願いが叶うといいねっていう他人事のようなスタンスで伺います。


厄祓いのときは、人間らしい理性と意志がしっかりと宿っている荘厳なお寺のほうが好みです。

仏像もその意味で好きです。


基本は八百万の神、アニミズムの考え方が好きなんだけど、それだけじゃないよな、って思うところもあり。


私の感覚では、仏教はすこし高く遠くて、畏れ多く圧倒されるもので、神道はより近い肌馴染みの良いもの、優しいものというイメージです。

精神性が高く威厳があり尊敬できる父親と、気さくだけど子供ながらに一目置いてしまう雰囲気のある、親戚のお兄ちゃんお姉ちゃん(ユニセックス系)みたいな違い。

そう、親戚くらいの近しい距離感…!



龍神様は怖いという人もけっこういるようですが、本当は親戚のお兄ちゃんくらいの感覚でいいのでは?と思っています。


だからたまに顔出して現状報告しにいこうかなっていうくらい。

(子供の頃、親戚の大好きなお兄ちゃんに褒められるとなんか自分も大人になった気がして嬉しかったよね?)



現代スピとアニミズムはなんかごっちゃにされやすいけども、すべてのものに八百万の神が宿っているのなら、私たちの細胞ひとつひとつにもソレは宿っているはずなので。


神と人を切り離さずジャッジせず、が神道的ではないのかな。


現代のゆるふわスピは、「自分とは違うなんかすごいもの」が別にいて、それにすがってご利益を得ようとするファストなものや、「自分が選ばれた存在である」ような優越感を盛り上げるものが多いけど、もうそういうのにちょっとうんざりしています。

どっちが良い悪い、優劣じゃないんだってば!


選ばれなくてもいいんだし、自分からみて不幸に見える人を恩着せがましく引き上げなくてもいいんだってば。

相手のために良かれと思ってやってるとしたら、それこそがエゴだから。

「自分のために好きでやってる」なら楽しいだけで相手への不満も出ないでしょう。

私もあなたも特別ではなくて、「普通」ですw

神様もそこらへんにいるのが「普通」です。


頭でっかちにならないで。プライドでかためないで。

怖がって、誰に「特別であること」を示す必要もない。

内側で感じていればいい話。

内側が繋がっていれば、孤独でないことを確認する必要もない。

外を意識し過ぎてカタチにとらわれていれば、内側の感覚がまやかされてしまうかもですよ。


アニミズムとの不調和を起こし繋がりを断つものがあるとすれば、それはご自身の自意識です。


いま自分にできることを一生懸命にやったら、あとは手放して自然の流れに良きように😊




これを書きながらふと「なんで私は稲荷系が苦手なんだろう」とあらためて考えていたのですが…


人の欲が立ち込めている場所だからというのもあるけれど、なによりも子供の頃に親に『狐憑き』を疑われたせいじゃないかと気付きました。


お祓い連れていかれそうになったとき(不思議な現象と言動のせいで家族会議にw)、なんか子供ながらに「狐憑き=みんなが嫌がるもの、ヤバいもの、怖いもの」というのが無意識に植え付けられた…

それがトラウマ的に稲荷が怖い一番の原因になってる気がするなぁ。

でもいまそれを自覚できたことで、すこし怖くなくなってきたかも!

最新記事

すべて表示
2025年春分

春分からの一年をざっくり、占星術の視点からお伝えします。 この一年を象徴する春分図(春分の日の天体の配置)で重要なキーワードがこちら。 『新しい日の夜明け、すべてが変わった』 (今回のハフラのテーマ『Hello World』もそこからつけています!)...

 
 
 
それぞれの美しさ

ずっと女性の美容&健康に携わる仕事をしてきたせいか、『何をもって美しいと感じるか』については長年考え続けているテーマです。 ベリーダンスもその一環で、通常のレッスン以外にもたまに『女神ムーブメントWS』などベリーダンス以前の個々の魅力を引き出すようなワークショップを開催して...

 
 
 

ความคิดเห็น


bottom of page